野鳥の肖像
序
2024年10月2日直腸癌の手術を受け、後日検査の結果ステージ4だと告げられた。
当然落ち込んだが、一番気になったのは鳥撮りを続行出来るか否かだった。
普通に考えても、重い機材を担いで山野や公園を歩き回る鳥撮りは無理だ。
しかし止める積もりは毛頭無いので、何か良い方法はないだろうかと色々考え倦ねた末
に、庭で椅子に腰掛けてなら何とかなるだろうと思い付いた。
鳥撮りとは言っても、このところ多分誰も遣っていないであろう野鳥の肖像写真に重きを置いているので、その延長上だと思えば気は楽だ。

これなら機材が大きくとも、重くとも移動距離が短いので殆ど気にならない。
ブラインドさえ設置すれば撮影体勢完了である。
何しろ我が家の庭での撮影であるから、何をするにも直ぐに対処出来るのが有難い。
撮れる種類は大幅に限られるし、何より来なければそれ迄で撮影どころではない。
だからと言って、今の私には他に方法は無い。
雀の肖像/1
日本人に一番馴染み深い野鳥が雀だという事に異論はあるまい。
何処ででも見掛けられるし、日本の風景に溶け込んでもいるし、雀の居ない日常は考え難い。
しかし、その雀が近年地球規模で大幅に減っているという記事を読み、少しでも増殖に協力出来ればと庭に雀用の餌場を作って遣った。
以後10年、我が家の庭の雀は確実に増えた様に思われる。
ところで雀は可愛い小鳥だと思われている様だが、果たして本当にそうだろうか?
日常的に見慣れてはいても雀の顔をじっくり観察した事のある人は意外に少ないのではなかろうかと思う。

彼は未だ巣立ってから何ヶ月も経っていない若鳥であるが、この射竦める様な眼光の鋭さ。
強かそうではあっても、私にはとても可愛さは感じられない。

此方は成雄であるが、一段と迫力のある顔立ちではなかろうか。
じっくり観察していると穏やかというか、優しい顔立ちの個体なんて殆ど居ない。
顔立ちが必ずしも性格を表しているとは思えないが、生半可な顔立ちでは厳しい野生を生き抜くのは難しいのだろう。

餌場のパン屑を頬張った雛も眼光だけは一人前の鋭さだ。
雛と雖もこの月齢になればもう親は餌を呉れないので、自分で餌を確保しなければならないのである。
初夏から夏にかけて巣立った雛は、半年もしない内に寒くて餌の少ない冬を越せるだけの体力を維持しなければ生き延びる事さえ出来ないのである。

今回の極め付けはこの雄だ。
顔立ちも厳ついが性格も顔立ち通りで、他の雀達が近寄りさえしない場所にある餌も彼だけは堂々と獲りに行く。
しかし、半年後彼を見掛ける事は無かった。
雀は1年少しの短い一生の間に2〜3度の繁殖を行うのだろうが、今時の住宅は雀口が塞がれていて彼等の住宅事情はかなり厳しいらしい。
私に出来る事はせいぜい彼等に玄米茶の出涸らしや、パン屑を与える事でしかないが、それでも少なくとも我が家の庭を訪れる雀の数は確実に増えてきている。
目白の肖像/1
目白も又色々な意味で日本人には馴染み深い野鳥であろう。
鶯と間違われる事が多いのは兎も角、梅や桜が咲くと花粉を求めて何羽もが集まり、顔を花粉塗れにしている姿を見た事のある人は多いと思われる。








この時期の山茶花林には色々な野鳥が群れている。
それだけ山茶花の花粉が野鳥達の貴重な餌になっている証拠だろう。
暮れから年明けにかけては蝋梅が咲く。何故かこれには目白しか来ないが、我が家だけの現象だろうか?


梅の時期になると何処も人が多く繰り出すので梅林に出掛ける事は少ない。
なので梅絡みの目白の写真は殆ど撮ってはいない。
桜絡みの写真は、早い時期に店頭に並ぶ啓翁桜を活けたのに集まって来るのを写したものである。







目白の舌先が簓状になっているのを本で読んでも、現実に確認した人は少ないだろう。
私も子供の頃に和鳥飼いしていたが、目的は飽く迄囀りを楽しむ事だったので舌先がどうなっているのかは知らなかった。
この写真を見れば判ると思うが、それにしてもこの個体は訳あって矢鱈舌が長いのである。